われに救世の願あり
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(しょうとくたいし)および侍者像(じしゃぞう)のうち聖徳太子
聖徳太子平安時代・保安2年(1121)奈良・法隆寺蔵(撮影・西川夏永)
聖徳太子は救世(くせ)観音の生まれ変わりとして信仰され平安時代には様々な姿であらわされるようになった。本像は、通常は拝観できない法隆寺聖霊院(しょうりょういん)の本尊(秘仏)。
微笑みの半跏思惟像、北海道初公開
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(ぼさつはんかしゆいぞう)(伝如意輪観音)
菩薩半跏思惟像飛鳥時代(7世紀)奈良・中宮寺蔵(撮影・三好和義)
法隆寺東院に隣接した中宮寺は、太子と母后(ぼこう)・穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)ゆかりの寺院で、現存最古の尼寺。本尊の国宝《菩薩半跏思惟像》は、慈愛に満ちた微笑みをたたえ、飛鳥時代の最高傑作として名高い。
白鳳彫刻の代表作
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(かんのんぼさつりゅうぞう)(夢違観音)
観音菩薩立像飛鳥時代(7〜8世紀)奈良・法隆寺蔵
法隆寺には、仏教伝来からまもない7世紀の仏教美術の精華が伝わる。この像は、祈ると悪夢を善夢に変えてくれるという伝承から「夢違観音(ゆめちがいかんのん)」の愛称で親しまれている。
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(じょうぐうしょうとくほうおうていせつ)
上宮聖徳法王帝説平安時代(10〜11世紀)京都・知恩院蔵
数ある太子の伝記のうちでも、古い時期に成立したもの。太子の事蹟を今に伝えるだけでなく、日本古代史研究にも必須の文献。
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聖徳太子二王子像(しょうとくたいしにおうじぞう)(模本)
幽竹法眼筆 江戸時代・宝暦13年(1763)奈良・法隆寺蔵
「唐本御影(とうほんのみえい)」と呼ばれる聖徳太子最古の肖像画の写し。私たち現代人にとっても馴染みのある聖徳太子像。
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(てんにん)(金堂天蓋付属)
天人飛鳥時代(7世紀)奈良・法隆寺像
法隆寺金堂内の天蓋(てんがい)を飾る天人像。あどけない顔立ちが特徴的。木製透かし彫りの天衣(てんね)を翻し、楽器を奏でている。
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聖徳太子立像(しょうとくたいしりゅうぞう)(二歳像)
鎌倉時代(14世紀) 奈良・法起寺蔵
太子は数え二歳の春に東を向いて合掌し、「南無仏(なむぶつ)」と唱えたという。童子の姿ながら、威厳をたたえている。
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(てんじゅこくしゅうちょう)(部分) 【前期:9月3日〜10月2日】
天寿国繡帳飛鳥時代・推古天皇30年(622)頃 奈良・中宮寺蔵
太子の妃である橘大郎女(たちばなのおおいらつめ)によって作られ、太子が往生した「天寿国」の有様が緻密な刺繡によってあらわされている。
菩薩半跏思惟像以外の画像提供:奈良国立博物館