作品紹介

アルフォンス・ミュシャ(1860-1939)は、19世紀末から20世紀初頭にヨーロッパで起こった芸術運動「アール・ヌーヴォー」を代表する芸術家。現在のチェコ共和国モラヴィア地方に生まれました。パリに移って、大女優サラ・ベルナールのポスターで一躍脚光を浴び、故郷に戻ってからはチェコスロヴァキア最初の郵便切手や紙幣のデザインを手がけ、チェコ国内にとどまらず、現在に至るまで欧米や日本で多くの人々を魅了しています。
本展では「運命の女たち」をテーマに、十代の頃の素描から、名声を得たパリでの作品、祖国に戻った晩年の油彩画までの貴重なコレクションを紹介。女性を描き続けたミュシャの人生を彩った女性たちに焦点をあてています。出品作品は、ミュシャの生家の近くに在住する医師ズデニェク・チマル博士の親子三代にわたるコレクションで、このチマル・コレクション単独の展覧会は日本初開催です。
ミュシャ芸術を代表するポスター、装飾パネル、油彩画、素描画、水彩画など約150点を展観します。

ミュシャ初恋の人

ミュシャ初恋の人

《デザイン画「J(ユリンカ、ミュシャの初恋の人)」》

1874年、鉛筆、水彩

ミュシャ14歳の年の制作で、最初期の一点。初恋の相手ユリンカ(Julinka)はミュシャとほぼ同い年。病弱で25歳でこの世を去ります。最後の数年間、ミュシャは彼女に体調を気遣う手紙を送るなど交流を続けました。ここでは彼女の頭文字「J」に可憐な草花を装飾的にあしらっています。この初恋はミュシャにとり大切な経験となり、後の作品にも彼女の面影が投影されました。

アール・ヌーヴォーの旗手
ミュシャが得意とした、
花の髪飾りと装飾的曲線

アール・ヌーヴォーの旗手
ミュシャが得意とした、
花の髪飾りと装飾的曲線

《カレンダー「ビスケット・ルフェーブル=ウティール」》

1896年、リトグラフ

ミュシャがパリに出て、ポスター作家として有名になった頃の作品。ビスケット・メーカーの1897年カレンダー。ビスケットの皿を手に持ち、艶やかにこちらにまなざしを送る女性は、髪に花と麦を飾り、鎌と麦をあしらった服でビスケットの材料をアピール。女性を囲む曲線の先端は、メーカー名のイニシャル「LU」を表しています。

横顔が見せる、華やかさと、
うちに秘めた強さ

横顔が見せる、華やかさと、
うちに秘めた強さ

《装飾皿「ビザンティン風の頭部:ブロンド」》

1898年、金属板にカラー・リトグラフによるエナメル塗装

右を向く女性の横顔は、伏し目がちながら口元をきりっと結び意思の強さを感じさせます。女性は額と髪を布で覆い、その上から金や宝石をちりばめた髪飾りをつけています。地中海周辺地域に花開いたビザンティン文化に触発された作品です。「ブロンド」は、同じ形状の作品「ブルネット」と合わせ、二枚一組として制作されました。

ミュシャの出世作、
世紀の大女優サラ・ベルナール

ミュシャの出世作、
世紀の大女優サラ・ベルナール

《ポスター「ジスモンダ」》

1894年、リトグラフ

19世紀のパリを席巻した女優サラ・ベルナール。彼女の公演を宣伝するこの作品は、休暇で他のデザイナーが不在のためミュシャが急遽請け負ったものでした。しかし、このポスターは、貼り出されるやいなや欲しがる者が続出するほど人気を博します。ミュシャはこの作品で一躍ポスター作家としての名声とサラの信頼を得、長きにわたる協力関係と交友が始まりました。

最も美しい劇場ポスターの
一つと言われる本作。
女優サラ・ベルナール
お気に入りの一点

最も美しい劇場ポスターの一つ
と言われる本作。
女優サラ・ベルナール
お気に入りの一点

《ポスター「椿姫」》

1896年、リトグラフ

耳に椿の花を飾り、ドレープが美しい白いドレスの女優サラ・ベルナールは、このポスターがお気に入りだったとか。白いドレスをたどって目線を画面下に持って行くと、これまた白い手が白い椿の枝を持っているというデザイン。こんな遊び心のある装飾で、ミュシャのポスターは多くの人々の心をつかんだのでしょう。

図案化された葉、髪の毛、
髪飾りにみる
ミュシャ様式の神髄

図案化された葉、髪の毛、
髪飾りにみる
ミュシャ様式の神髄

《ポスター「黄道十二宮」》

1896年、リトグラフ

横顔の女性の周りには、西洋占星術の十二星座が描かれたポスター。横顔にすることで装飾が美しい髪飾りが画面中心に配置され、「ミュシャ様式」と呼ばれるようになった特徴的な装飾が目をひく作品です。このポスターは当時のパリの女性の心をとらえ、多くのポスターの仕事に取り組むようになりました。

愛すべき友人の
18歳の娘を描いた、
晩年の貴重な油彩画

愛すべき友人の
18歳の娘を描いた、
晩年の貴重な油彩画

《油彩画「エリシュカ」》

1932年、油彩

本展で最も注目すべき作品の一つ。作品を所蔵するズデニェク・チマル博士が最も高く評価しているといいます。エリシュカはミュシャの友人の娘で、16歳の頃から2年にわたり描き、18歳の頃に仕上げたということです。報酬なしの個人的な贈り物だった作品で、エリシュカ自身の寝室に飾られていました。

ミュシャの大作
《スラヴ叙事詩》の
プラハでの展覧会のポスター。
ミュシャの娘がモデル

ミュシャの大作《スラヴ叙事詩》
のプラハでの展覧会のポスター。
ミュシャの娘がモデル

《ポスター「《スラヴ叙事詩》展」》(部分)

1928年、リトグラフ

パリで活躍していたミュシャは50歳の頃に故郷に戻りました。故郷の歴史などを題材にした大作《スラヴ叙事詩》全20点に取り組みます。15年の歳月をかけて完成した作品はチェコスロバキア独立10周年の記念に合わせて展示され、その展覧会のポスターとして本作が作られました。描かれている女性はミュシャの娘をモデルにしています。