平成ゴジラのスーツ(ぬいぐるみ、着ぐるみとも呼ばれる)の実物と、
第1作(1954年)から「昭和」、「平成」、そして「ミレニアム」シリーズの
最終作(2004年)まで、写真により全28作の歴代ゴジラの顔と姿を紹介します。
1989(平成元)年の『ゴジラvsビオランテ』から1995年の『ゴジラvsデストロイア』にいたる6本の映画は、「平成シリーズ」「vsシリーズ」等と呼ばれる。これらの映画で用いられたゴジラのスーツのデザインは、6作品で多少の変化を示しつつも、基本的には同じである。頭部は小さめで、歯は二列、手足や尾は太く、体は全体に量感ゆたか。本展では『ゴジラvsデストロイア』の撮影に用いられたスーツを展示。
今日にいたるまで日本とアメリカで作られ続けてきたゴジラ映画は、1954(昭和29)年の東宝映画『ゴジラ』に始まります。原点であるこの映画を生み出したキーマンこそ、プロデューサー・田中友幸、特殊技術(翌年より特技監督)・円谷英二、監督・本多猪四郎の3人でした。また、ゴジラの音楽世界を創造した作曲家・伊福部昭も、忘れることはできません。
このコーナーでは、第1作の制作の経緯、特にゴジラの形が生み出されるまでの過程を、台本やピクトリアルスケッチ、造形と撮影時の記録写真等により紹介します。
水爆実験の影響で海底から地上へ現れた怪獣というゴジラのイメージを、原作者の香山滋が推薦した漫画家・阿部和助が絵にした。写真は1954年6月頃、阿部の絵などを前にゴジラのデザインを検討中の映画製作者たち。奥の左が本多猪四郎、右が田中友幸、本多の手前に円谷英二。 |
ひな形とは、実物より小サイズの検討用あるいは見本用の立体のこと。ゴジラのひな形は、円谷英二が東宝に招いた利光貞三により粘土で作られた。写真はワニのようなごつごつした表皮をもつ、ひな形の最終形。 |
ひな形をもとに、撮影用のスーツが制作された。スーツに入って演じたのは、東宝所属の俳優・手塚勝巳と中島春雄だが、広報用に特別に撮影されたこの写真では、スーツの制作スタッフの一人で長身であった開米栄三が、スーツに入っている。 |
スクリーンを見る者を魅了する特撮の場面は、どのように作られるのか。そこに込められた創造性を、映画『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』(2003年)を事例に取り上げて紹介します。展示内容は、西川伸司による怪獣のデザイン画、それらにもとづきながら立体化された撮影用のゴジラとメカゴジラのスーツ、三池敏夫による特美(特殊美術あるいは特撮美術の略称)のデザイン画やセット図面と、撮影現場の記録写真等です。
1999(平成11)年から2004年までの6本のゴジラ映画は、「ミレニアムシリーズ」とも呼ばれる。2002年の第4作『ゴジラ×メカゴジラ』まで、1作ごとにストーリーの設定が異なっているが、翌年の第5作『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』は前年の続編として制作された。このゴジラのスーツは『ゴジラ×メカゴジラ』の撮影に用いられたもの。 |
対ゴジラ兵器として初代ゴジラの骨格とDNAをベースに造られた、ロボット型の特殊兵器。劇中では「3式機龍」と呼ばれる。東京へ上陸したゴジラと三度戦うなかで、ゴジラの咆哮に反応し、また、人間の心に感応したかのような動きを見せるなど、単なる戦闘マシーンではなく、心を持つ存在として描かれた。 |
機龍は、昭和や平成のメカゴジラとは全く異なる新しいメカとしてデザインされた。左図は肩にミサイルを発射するバックユニットと両腕にレールガンを備えた重武装型のデザイン画。これらを外した状態は「高機動型」と呼ばれる。左胸には、機龍の兵器としての種別を示す「MFS-3」(Multi-purpose Fighting System/多目的戦闘システム。3は「3式」つまり兵器として正式採用された年を示す)の文字。 |
東宝の特撮映画は基本的に、俳優が演技をする「本編班」と、怪獣やメカによる特撮部分を担当する「特撮班」という二つのグループに分かれて撮影される。『東京SOS』の特撮には、日本一広い撮影スタジオと言われる東宝の第9スタジオが用いられた。撮影のセットをどのように組むかを設計するのも、特美デザイナーの仕事。本図はゴジラとモスラ、機龍の決戦の舞台となる港区のビル街のセット図面。キャスターが付いた移動式平台をつなげて、10間×8間のステージを組んだことが図でわかる(1間は約1.8メートル)。 |
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上の図面をもとに組まれた港区のビル街のセット。奥の空はホリゾント(背景幕)。会場ではこの写真を含む特撮現場の記録写真約120枚を、スライド上映で紹介。 |
第1作ゴジラ(1954年)の大ヒットの後、東宝は特撮を大いに活用した映画を次々と制作し、それが日本に「特撮映画」と呼ばれるジャンルを確立させることになりました。特に昭和30年代から昭和40年代初めにかけてはSF、怪奇アクション、そして怪獣といった多彩な特撮映画がスクリーンを彩りました。その多くは田中友幸プロデューサー・本多猪四郎監督・円谷英二特技監督のタッグによるものであり、また、特殊技術課に所属した特美の渡辺明や井上泰幸、造形の利光貞三など第1作『ゴジラ』から関わった人々が中心となった時代でした。
円谷英二が1970(昭和45)年に死去した後、東宝の特撮映画制作体制は大きく変化しました。その後もゴジラシリーズは作り続けられましたが、1975(昭和50)年に一区切りが付けられます。しかし、1970年代末から1980年代初めにかけて、若い世代の間でかつての特撮映画が再び注目を集めるようになり、ゴジラの人気も再燃しました。そして1984年には、第1作からつながるストーリーとして新たな映画『ゴジラ』が制作されたのです。この時には、ベテランとなった東宝の造形の安丸信行や、すでに東宝を離れていた井上泰幸が再びゴジラ映画の現場を担いました。
『地球防衛軍』は、宇宙からの侵略者ミステリアンと地球人との戦いを描いた、東宝初の本格的SF特撮映画。この絵は、劇中で安達博士たちがいる天文台の大型天体望遠鏡を描いたマット画(合成用の背景画)。 |
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『ゴジラの息子』は、南洋のゾルゲル島を舞台に、ゴジラと生まれたばかりのミニラの情愛、そして島の怪獣たちとの戦いを描いた映画。有川貞昌の特技監督デビュー作でもある。物語のラスト、危険な怪獣たちを凍らせて脱出を図った人間たちは、島に人工雪を降らせる。ゾルゲル島は凍り付き、ゴジラ親子は雪の中で眠りにつく。本図は、特美デザイナーの井上泰幸が描いた、雪に覆われた海岸のデザイン画。 |
平成の幕開け(1989年)に世に送り出された『ゴジラvsビオランテ』では、新たな特技監督・川北紘一のもと、ゴジラのデザインが一新され、以後、平成シリーズのラストとなる『ゴジラvsビオランテ』(1995年)まで、連続するストーリーの主役として活躍しました。怪獣やメカデザインには西川伸司や吉田穣など新世代の外部のデザイナーが加わり、ひとつの怪獣やメカのデザイン案を複数のデザイナーが提案してまとめあげていく「デザインワークス」のシステムがとられました。また、この時代のデザインや設定には、1970年代末から広く注目を集めるようになっていたアメリカのSFX映画や、日本のSFアニメーション等の影響も認められます。スーツも敵怪獣については、東宝の外部の造形家が手掛けるようになりました。特美デザイナーは、大澤哲三が一貫して務めています。
1984年の映画『ゴジラ』に登場したスーパーXの後継機であり、『ゴジラvsビオランテ』においてゴジラ迎撃に大活躍するスーパーメカ。基地から遠隔操作される無人機で、空と水中を行く。ミニチュアはアクションやロングショット用の小サイズと、アップ用の大サイズが作られた。会場では大サイズを展示。 |
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平成ゴジラ最後の敵デストロイアは、最初のゴジラを東京湾で倒したオキシジェンデストロイヤーの影響により、古代の生物が急速に異様な進化をとげた姿。集合体、飛翔体、完全体という変化をする怪獣であり、このデザイン画は完全体のイメージ。この時点では「バルバロイ」という名前が設定されていた。 |
1999(平成11)年、21世紀に向けて新たなゴジラ映画『ゴジラ2000 ミレニアム』が制作されます。平成ゴジラとの差別化を念頭に置きながら、プロデューサーの富山省吾、監督の大河原孝夫、特殊技術の鈴木健二らのもとで新しいゴジラのデザインが検討された結果、西川伸司が描いたポスター用のシルエット画がデザインの方向を決定づけました。そのシルエットなどをもとに酒井ゆうじがデザイン検討用の立体を制作し、また、スーツは若狭新一が制作しました。
その後、2004年まで6本作られた映画は「ミレニアムシリーズ」とも呼ばれます。特美デザイナーは第1作と第2作では高橋勲が、第3作から第6作は三池敏夫が務めました。設定やストーリーが連続しているのは第4作と第5作のみで、他はすべて独立したストーリーです。なかでも金子修介監督のもと、品田冬樹が造形した『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』(2001年)のゴジラは、若狭新一が手掛けた他のミレニアム期のスーツとは大きく異なるものです。この映画ではまた、本編美術の清水剛が、特撮の兵器類のデザインやイメージボードの制作を手がけ、全体のヴィジュアルを統括しました。
キングギドラが初登場したのは、1964年の映画『三大怪獣地球最大の決戦』であり、この時は強大な宇宙怪獣であった。以後、平成にかけて4本のゴジラ映画に登場。5回目となったミレニアムシリーズの『大怪獣総攻撃』では、日本を襲うゴジラと戦う3体の護国聖獣のうちの一体「魏怒羅(ギドラ)」として登場。劇中では「千年竜王」とも呼ばれた。 |
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『ゴジラ 2000 ミレニアム』の新しいゴジラのために、西川伸司は多数のデザイン案を制作したが、本体のデザイン決定に先行してポスター用のシルエット画を求められ、複数の案を描いた。そのなかから、前傾姿勢で頭を上げ、炎のような背びれを持つシルエットが選ばれ、結果、このシルエットのイラストによってミレニアムゴジラのデザインの方向性が決定した。 |
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『ゴジラ 2000 ミレニアム』のデザイン検討用モデルの依頼を富山省吾プロデューサーから受け、西川伸司の描いたシルエットと、以前に酒井ゆうじ自身が提出した《オリジナルイメージゴジラ2》での打ち合わせに基づいて制作した。 |
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「さつま」は、放射線遮断機能を持つ2人乗りの小型作業艇。球形をベースにするとともに、パイプなどが露出したデザインには、金子修介監督の要望が働いている。その他の兵器についても、金子監督はスーパーメカではなく、現実感の高いデザインを求めた。 |
1970年代末頃から1980年代前半にかけて、昭和期の特撮に対する再評価の動きが社会に広がりました。そのなかで、生頼範義や髙荷義之といったすでにプロのイラストレーターとして高い評価を得ていた作家たちが、ゴジラや特撮映画のイラストを依頼されて描いています。それらは1960年代後半から1970年代にかけて子ども向き映画というイメージが定着したゴジラが、かつてはより幅広い世代に向けて作られていたことを思い起こさせるものでした。一方でまた、熱烈なファンが自分と同好の士たちのためにイラストやガレージキット(精巧な模型)を制作・発表する動きが起こりました。そのなかからプロの作家となり、息の長い活動を繰り広げてきた人々も現れています。彼らはゴジラと映画を作った人々への熱いオマージュを込めながら、時にはリアルに、時には大胆に、ゴジラの世界をスクリーンの外へと広げたのです。
ここまでの章では、スクリーン上のヴィジョンの根にあるデザイン・造形・特美の世界を掘り起こしてきましたが、この最終章ではあらためて映画に表されたヴィジョンに立ち戻り、それらを自らの表現を込めてスクリーンの外に再構築した作家たちに焦点を当てます。
開田裕治は1980年代から映画やテレビの特撮の世界をモチーフに制作してきたイラストレーターで、「怪獣絵師」の異名を持つ。このイラストは『別冊映画秘宝 東宝特撮総進撃』(洋泉社、2010年)の表紙用イラスト。右綴じの本であることから、表紙にあたる画面左半分に東宝怪獣を、裏表紙にあたる右半分にスーパーメカを描いた。 |
酉澤安施は映画『モスラ3 キングギドラ来襲』(1998年)で初めて東宝特撮映画の怪獣デザインを手がけ、続くゴジラのミレニアムシリーズでは怪獣や本編のコスチュームデザインを手がけている。本作は、2008(平成20)年から2013年にかけて雑誌『宇宙船』(ホビージャパン社)に連載した、東宝特撮映画の怪獣を題材にしたイラストの一点。映画『三大怪獣地球最大の決戦』(1964年)にもとづいて、戦うゴジラとラドンのもとにモスラ幼虫が到着した場面を描く。 |
酒井ゆうじは、1989(平成元)年、海洋堂主催の第1回アートプラ大賞での受賞を機にプロデビューした造形家。『酒井ゆうじ造型工房』主宰。本作は『ゴジラvsキングギドラ』(1991年)に登場したゴジラ(通称ギドゴジ)。この映画では前作『ゴジラvsビオランテ』(1989年)で用いられた2体のスーツが流用されており、そのうち北海道に上陸してキングギドラと戦う場面で用いられたスーツを造形にしたもの。 |